東京高等裁判所 昭和61年(う)1223号 判決 1988年1月22日
本籍
京都市中京区猪熊通蛸薬師下る下瓦町五九一番地
住居
同市同区柳馬場通竹屋町上る四丁目一九五番地
会社役員(元司法書士)
松本善雄
昭和八年一〇月二七日生
右の者に対する所得税法違反、相続税法違反被告事件について、昭和六一年一〇月二〇日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人らから控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。
検察官 山中朗弘 出席
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一〇月及び罰金六〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金二万五〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人杉島貞次郎、同藤平芳雄連名作成の控訴趣意書及び「控訴趣意書の補正について」と題する書面記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官作成の答弁書記載のとおりであるから、それぞれこれらを引用する。
論旨は、原判決の量刑不当を主張し、懲役刑についてはその刑の執行を猶予し、罰金刑についても更に減額するのが相当である、というので、所論及び答弁にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、本件は、司法書士をしていた被告人が、土地の売却主で納税義務者である乗越清一、中村春造、掛川きみ子、掛川栄一(代理人掛川きみ子)、近藤傅治郎、並びに亡父の財産を相続した木村喜久治からそれぞれ依頼を受け、右土地売却主らの売却譲渡による所得税、右相続人の相続税の各課税額を大幅に減額させようと企て、それぞれ右同人ら(掛川栄一については代理人掛川きみ子)及び全日本同和会京都府・市連合会会長鈴木元動丸、同事務局長長谷部純夫、同事務局次長渡守秀治ら四名又は右四名のほか二名ないし三名の者と共謀の上、六回にわたり、同和対策にことよせて、架空の損害又は債務を被った旨仮装するなどの方法で、右売却主五名の所得税合計一億八九五九万九〇〇〇円及び相続人木村喜久治の相続税八二七三万三〇〇〇円、以上総計二億七二三三万二〇〇〇円をそれぞれ免れさせた、という事案であって、これら各犯行の罪質、動機、態様、被告人の関与の程度、ほ脱した税金の額、本件により被告人の得た金額、とりわけ、被告人は特に法を遵守すべき職責を有する司法書士でありながら同和会関係の共犯者らに誘われるままに安易に本件各犯行に加担したもので、そのほ脱額が前記のとおり極めて多額で、そのほ脱率はそれぞれ九〇パーセント前後の高率であり、しかも、これらによる被告人の利得額もまた極めて多額であること、被告人の関与の程度も、ただ単に仲介をしたというにとどまらず、相当積極的に前記納税義務者らに対して虚偽の債務等を仮装することなどを自ら説明し、前記同和会を利用してのほ脱を働きかけて本件各犯行に引き込み、関係書類及び同和会に対するカンパ金の授受を行うなどしていること、その他諸般の事情を考慮すると、その犯情は悪質で、刑責は重いといわざるを得ないのであって、原判決も指摘するとおり、長期にわたり全日本同和会等が関与して行う所得税等の確定申告に対する税務当局の寛容な対応が本件の脱税を助長したとみられる余地がないわけでもないこと、原審当時、原判示第一の乗越清一関係では、同人との間で被告人の利得額五〇〇万円のほか弁護士費用等五〇万円を支払う旨の裁判上の和解が成立し、被告人において当日右全額を支払い、原判示第二の中村春造関係及び同第四の近藤傅治郎関係では、被告人の取得額計二〇〇〇万円につきそのきよ出者であるカネボウ不動産株式会社との間で、うち一〇〇〇万円は同会社が付近一帯の不動産取得について被告人に世話になった報酬であるとしてその返還を免除し、残額一〇〇〇万円を当日三〇〇万円、昭和六一年一二月末日限り三〇〇万円、昭和六二年四月末日限り四〇〇万円を支払う旨の示談が成立し、被告人において当日三〇〇万円を支払い、原判示第五の木村喜久治関係では、同人との間で被告人の利得額一、一〇〇万円のうち一〇〇万円の返還の免除を受け、残額一〇〇〇万円を当日三〇〇万円、昭和六一年一二月末日限り三〇〇万円、昭和六二年四月末日限り四〇〇万円を支払う旨の示談が成立し、被告人において当日三〇〇万円を支払っていること、被告人には業務上過失傷害罪による罰金刑以外には前科前歴がないこと、その他被告人の平素の善良な行状、家庭の状況など被告人に有利な諸事情を十分しん酌しても、原判決言渡当時を基準とする限り被告人に対し懲役一〇月及び罰金一〇〇〇万円の実刑を科した原審判決の量刑は不当に重過ぎるとは考えられない。しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、当審に至って前記納税義務者らに更に一四〇〇万円を返還して示談金額の支払を完済した上、自発的に京都司法書士会を脱会し、反省の念を強めていることが認められ、これらの当審における事情と原審当時の前記諸事情とを併せ考えると、懲役刑については、現段階においても、なお、その刑の執行を猶予することは相当とは考えられないけれども、罰金一〇〇〇万円という原判決の罰金の量刑は重過ぎると考えられるから、原判決はその全部につき破棄を免れない。
よって、刑事訴訟法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書に従い更に判決することとし、原判決が認定した各事実にその挙示する各法案を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 尾鼻輝次 裁判官 岡次郎 裁判官 木村幸男)
昭和六一年(う)第一二二三号
○控訴趣意書
所得税法違反 相続税法違反
被告人 松本善雄
右の者に対する頭書被告事件につき、昭和六一年一〇月二〇日京都地方裁判所が言い渡した判決について、控訴を申し立てた理由は左記のとおりである。
昭和六二年三月三〇日 右弁護人 杉島貞次郎
同 藤平芳雄
大阪高等裁判所 第七刑事部 御中
記
原判決は、「被告人を懲役一〇月及び罰金一、〇〇〇万円に処する。」旨の言渡しをしたが、以下述べる諸般の情状を勘案すれば、当然懲役刑の執行を猶予する旨の言渡しがあって然るべきであって、原判決の量刑は著しく重きに失し不当であるから、破棄せられるべきである。
一、原判決は、量刑の理由として、
「本件は、司法書士である被告人が、全日本同和会京都府・市連合会の行う脱税行為に加担し多数の納税者に脱税させ、その報酬として多額の利益を得たという事案であって、右脱税行為によるほ脱総額は、二億七二〇〇万円を超える巨額に及び、各脱税行為におけるほ脱率も九〇パーセント前後と高率であること、被告人は、司法書士として特に法を遵守すべき職責を有するにもかかわらず、仮装債務の作出という脱税手段についても知悉したうえ、不正の利益を得るため敢えて本件に及んだものであること、本件各犯行に関与した程度も決して浅いものではなく、本件犯行によって利得した額も多額であること、そもそも納税義務は国民に課せられた重要な義務であるところ、本件の如き、司法書士の関与した大規模ほ脱事件が社会に与えた影響の大きいこと等を考え合わすと、その刑事責任は誠に重く、長期にわたり全日本同和会等の行う脱税を見過ごしてきた疑いの極めて濃厚な税務当局の対応も本件を助長したと見られる余地がないわけでもないこと、被告人には、業務上過失傷害罪による罰金刑以外に前科前歴がなく、今回のことを深く反省して自己の不正利得分につき納税者に対し一部を返還し、又はその約束をして和解し、又は返還すべく努力をしていること、本件により相応の社会的制裁をうけ、とりわけ、本件により司法書士の資格を喪失すること等被告人に有利な事情を十分参酌してもなお、被告人を実刑に処することはやむを得ない。」と判示している。
しかし、右判断は、被告人が司法書士であったことを過大に評価して、いわゆる建前論に捕らわれすぎ、事案の根源や本質に対する深い洞察と理解に著しく欠け被告人が本件に関与するに至ったいきさつや心情等についての理解と評価を誤ったものといわざるを得ない。
以下その理由を明らかにする。
なお、原判決が、罪となるべき事実の認定にあたり、補足説明として判示しているところは、要するに、被告人の犯意及び違法性の認識についての弁解を否定するもので、被告人及び弁護人としてはとうてい納得し難いところではあるが、原審における被告人側の対応の不手際もあって、実体的真実はさておきいわゆる訴訟法的真実としてはこれを肯認せざるを得ないと判断し、敢えて事実誤認の主張を差し控えることにした。
二、原判決は、「被告人が司法書士として特に法を遵守すべき職責を有するにもかかわらず」、全日本同和会京都府・市連合会(以下同和会と略称)の行う「仮装債務の作出という脱税手段をも知悉したうえで、敢えてこれに加担した」旨判示し被告人が強い違法性の認識を有していたことを前提にして、刑を量定している。本件に係る被告人の犯意と、違法性の認識についての原判決の右のような厳しい認定について、不満ではあるが、強いて事実誤認の主張を差し控えること、前述のとおりである。
従って、厳密な意味においては、被告人に脱税に加担するという意識(犯意)が全くなかったとまでは、強いて主張しない。
しかしながら、被告人の違法性についての認識は、原判決が認定するような強い違法性を認識していた訳ではない。被告人としては、税務当局が同和会との話合いにより同和会の行う過少申告を、行政的に認容しているものと思い込んでいたのであるから、同人の意識の中に違法性の認識があったと認めるにしても、その程度ははなはだ微弱なものにすぎなかったといわざるを得ない。すなわち、被告人としては、自分の行為が税務当局を偽って秘かに税をほ脱するという通常の脱税事犯のような明白な犯罪行為に加担しているという意識、換言すれば原判決が認定しているような強い違法性の認識を欠いていたことを強く訴えているのである。
被告人の当時の偽らない心境や違法性の認識の程度については、原審第一一回公判の最終陳述(意見書添付のてん末書一頁ないし四頁)で被告人が供述しているとおりであり、また原審弁護人の弁論要旨一、「被告人の脱税の意識について」で詳細論証しているので、これらを援用するほか、後記五の1ないし3においてさらに論旨を補充する。
三、原判決は、被告人が「不正の利益を得るため敢えて本件に及んだ」として、被告人が同和会の脱税に関与するに至った動機目的が、報酬として多額の不正な利益を得ることにあった旨判示している。
被告人が六件に及ぶ本件犯罪事実のうち、判示第一の乗越清一の関係で五〇〇万円、判示第二の中村春造及び判示第四の近藤伝治郎の関係で一、〇〇〇万円、判示第五の木村喜久治の関係で一、〇〇〇万円をそれぞれ報酬として受領し、結果的には四件で合計二、五〇〇万円にのぼる多額の不正の利益を得たことは原判決指摘のとおりで弁解の余地もないところである。
しかし、被告人は決して当初からこれら多額の報酬を得ることを目的として、同和会のいわゆる税務対策に加担していたものではない。
1.被告人は、昭和五六年六月ごろ同和会副会長兼辰己支部長の村井英雄や同会事務局長長谷部純夫らから、同会の行っている税務対策は税務当局と話合いのうえで合法的にやっている旨の説明を受けて協力を求められ、たまたま、その直後に相続税で困っていた友人の中村隆男を同会に紹介したところ、当初計算されていた税額の三分の一ぐらいで、何の問題もなく納税が終わり、中村及び同和会の双方からなにがしかの謝礼金を差し出されたが、被告人は固辞して受取っていないのである(検一四五号、六・七項)。
原審では、被告人が中村の次に同和会に紹介したのは、判示第三の掛川きみ子で、昭和五七年一一月二六日ごろのことであったように事実関係が構成されているが、事実に反する。
実際は昭和五六年七月ごろ中村隆男を紹介したあと、翌五七年一一月下旬に掛川きみ子を紹介するまでの間に、被告人は、何れも不動産の譲渡所得や相続に係る納税問題で悩んでいた友人や知人三名を同和会に紹介してやり、同和会によって友人らが期待したとおりに税金問題が解決した事実があったのである。
被告人はこれらの件についても、中村隆男のときと同様に、友人らや同和会の何れからも謝礼等の報酬は全く受取っていないのである(この点については、控訴審において立証の予定)。
これらの事実は、本件捜査の初期の段階で被告人は検察官に告白したというのであるが、検察官が深く取りあげてくれなかったので、被告人としても自分が同和会に深くかかわっていたという印象を持たれたくないとの思惑もあって、その後これらの事実について積極的には触れないようにしてきたという。僅かに原審における被告人の最終陳述(前記意見書添付のてん末書四頁後半)において「その後(中村隆男の件が終結した後)同じ様に当方の登記関係の依頼者の方で、税金が重くてかなわないという方を二、三人紹介致しましたが、これらの方々からも礼金を受け取った記憶はございません。」と抽象的に触れているのみである。
このように、被告人は、同和会の税務対策に関与するようになった昭和五六年七月ころから翌五七年末ごろまでの間に、前記掛川きみ子の件を含めて少なくとも五件の税金案件を同和会に紹介してきたのであるが、その間同和会からはもちろん、紹介してやった納税者からも一銭の報酬をも得ていないばかりか、却って前記中村隆男の件でみられるように、提供された報酬を固辞している事実すら認められのであるから、被告人が当初から報酬として多額の不正な利益を得ることを目的として、敢て同和会の行う脱税工作に加担したとみるのは、不当である。
2.然らば、被告人はどうして今回のように結果的には多くの納税者らに多大の迷惑をかけ、自らも深く傷つくことになることにも気付かず、安易に本件納税者らを同和会に紹介してきたのであろうか。
その理由は、前記二及び後記五で詳論するとおり、同和会が行っている税務対策なるものが違法であるとの認識を欠いていたことが最大のものであるが、同時に被告人のお人好しで世話好きの性格に由来するものというほかない。被告人は、人から頼まれると断り切れず、また困っている人をみると放っておけず、思慮を十分に尽さないまま、人助けのつもりで世話やきの行動に出るいわゆる軽薄型の好人物である。
そのことを論証するために、被告人が起訴にかかる本件各事案に関与するようになったいきさつ等を概観すると次のとおりである。
(一) まず、掛川きみ子は、被告人の司法書士事務所に不動産登記や保険の件等で親しく出入りしていた保険屋の松本辰一郎とその内妻の木村トミ子が紹介してきたもので、掛川から宇治のレジャーランドを売却するについて、税金の面さえ安く済ますことが出来れば契約が成立する段階まで来ているのに、税金がうまく処理できなくて困っていると泣きつかれてその場で同和会に紹介の電話を入れているのである(原審第七回公判、被告人供述調書 二〇丁裏以下等)。
(二) 乗越清一の件は、ライオンズクラブでの親友である中川修が、乗越から店舗用地等を購入するのに際し、中川から司法書士として契約や登記等の相談や依頼をうけて、関係している過程で、かねがね中川には、世間話として、同和に頼むと税金が安くすむ旨の経験話を話していたため、中川からこの件で同和に頼んで貰えるかと打診され、当時税金問題もこの契約完結のネックになっていたことから、親友の中川のために役立つならとの親切心から乗越らを同和会に紹介したのである(右同被告人調書三一丁以下等)。
もっとも、この件では話を進める過程で、中川から乗越の方より若干の謝礼が期待できる旨の話があって結果的には被告人は乗越から二〇〇万円、同和会から三〇〇万円を報酬として受領したのであるが、被告人は当初からこの利得を予期して本件に介入したものでないことは、右の事実の経過によって明らかである。
(三) 中村春造、近藤伝治郎の件について、
原審で取調べた山中隆雄、惣司定治郎、中村春造、近藤伝治郎、村井英雄、長谷部純夫及び被告人らの各検察官調書等を総合すると、次のような事実が認められる。
カネボウ不動産株式会社では、昭和五五年秋頃から大津市瀬田月輪町に約三万五、〇〇〇坪の田畑山林等を買収して、大規模な宅地造成に乗り出した。被告人が監査役をしていた株式会社エクダムでは、カネボウ不動産から依頼をうけて、代表取締役の惣司定治郎が中心になり、開発地域のいわゆる地権者との買収交渉にあたり、被告人もカネボウ不動産から買収土地の登記や測量事務を依頼されていた関係で、本計画の当初から惣司らとともに買収工作に深くかかわっていたのである。
昭和五七年暮ごろまでに、ほぼ八〇パーセントの買収が終わったが、残り二〇パーセントに当る数名の地権者らは、国土利用計画法に基く規制価格を大きく上廻る高額の土地代やそれに見合う代替地を要求し、さらには土地売却に伴う譲渡所得税等税金の一切を買主側で負担せよ等の条件を出して、容易に売渡しに応じようとしなかった。
この数名の地権者の中に、中村春造、近藤伝治郎がいたのである。
カネボウ不動産のこのプロジェクトの最高責任者であった山中隆雄(当時営業部長で、のちに専務取締役に昇格)は、それまでにも地権者側の要求に応じるため、惣司や被告人らの協力を得て、法的規制価格を超過した買上げ価格を糊塗するため実測面積を水増ししたり、架空領収証によって裏金づくりをする等無理算段を重ねながら買収を進めてきたのであるが、もしこの数名の地権者の土地が買収できないと、開発土地が虫喰い状態になって事実上開発計画が不能になるという苦境に追い込まれていた。
そこで、不本意ながら売主の不動産譲渡所得税をカネボウ不動産において全額負担すること等地権者側の前記一切の条件を了承することで、ようやくこの開発計画用地が確保できる見通しになった。
しかし、カネボウ不動産としては、これまでの地権者からも法的規制価格以上の買上げを要求されたりして、すでに当初の計画金額を大幅に超過した出金をしていたので、会社側から出金を少しでも押えるよう指示され苦慮していた山中が、昭和五八年初夏のころ、当時いつも大阪の本社から大津の現地への中継基地のようにして利用していた京都の被告人事務所において、惣司や被告人を交えてこの対応策を相談した際、被告人がたまたま、自己が体験している同和会の税務対策の話を持ち出したところから、山中において大阪の不動産業者に問い合わせて同和に頼めば税金が半分ぐらいですむことを確認する等して、結局被告人を介して中村、近藤らの譲渡所得税の申告等を同和会を通じて行うことになったのである。
中村、近藤を含む地主数名分の税務を同和会に依頼したカネボウ不動産は昭和五九年三月九日ごろ、いわゆるカンパ金として七、〇〇〇万円を支出した。これを受取った同和会側では、引きつづき宅地造成計画をもっているカネボウ不動産より、同様の税務対策の紹介をうけたいとの気持から、本件を紹介した被告人に一、〇〇〇万円惣司に一、〇〇〇万円の謝礼を差し出し、そのころ被告人がこれを受領した。従って結果的には本件で多額の報酬を得たことになったが、右いきさつが示すとおり、決して当初から不正の利益を目的として本件に関与していたものでないことは明らかである。
すなわち、この開発計画発足の当初から、惣司らとともに屡々現地に足を運んで地権者との交渉にも干与しているうちに、持前の世話好きな性格から、苦労を重ねながらこの開発計画の実現に献身している山中に同情して、何としてもこの計画を成功させてやりたいと念願する心境になり、司法書士の立場を超えて、むしろカネボウ不動産からいわゆる地揚げを依頼されていた株式会社エクダムの役員の立場で、惣司とともに、山中のいわばブレーンの一員として、本計画の推進に深く介入し、関与していたもので、本件中村及び近藤の税金問題は、その過程で偶然に出てきた一局面にすぎない。
(四) 木村喜久治は、右カネボウ不動産の宅地開発で、その所有地を売渡した地権者の一人であるが、昭和五七年秋ごろ被告人は惣司とともにその買上げ交渉に当り、登記事務も担当したことから懇意になった仲である。
同人の父木村喜平治が昭和五九年四月に死亡したことを、あとになって聞知した被告人と惣司が、たまたま木村方を弔問に訪れたことから、相続登記等を依頼され、相談に乗っている間に、惣司にひきづられた形で軽率にも同和会を通じて申告することを勧めたものである。
そのころには、被告人にも多少の謝礼を期待する気持があったことは否めず、本人もそのことを正直に認めているのである。
結果としては、同和会から一、〇〇〇万円という多額を報酬として贈られ、受領してしまったことは、まことに不そんなことであるが、当時被告人はカネボウ不動産の総額約七〇億円余にのぼる大規模な宅地開発事業に深く介入して、正常な金銭感覚がまひしていたと深く反省しているところである。
これを要するに、被告人は、持前の世話好きの親切心から、納税者らのために良かれと思ってそれぞれ同和会に紹介する等して各事案に関与していたもので、その間乗越の件以降は、若干の報酬を期待する気持ちを抱いていたことは否定しないが、結果的に同人が利得したような多額の報酬をはじめから予期していたものではない。いわんや原判決が認定するように、報酬として多額の不正な利益を得ることを目的として、敢えて本件に及んだというようなものではなかったことをなにとぞご理解いただきたい。
四、原判決は、被告人が「本件各犯行に関与した程度も決して浅いものではない」ことを量刑の理由の一つに掲げている。
しかし、掛川きみ子の件や乗越清一の件においては、同和会に対する紹介と、申告に必要な関係書類や、いわゆるカンパ金の受け渡しや、その中継ぎといった機械的な使い走り程度の関与はしているが、本件脱税事件を構成する虚偽過少申告行為には全く関与していないのであるから、犯行への関与の程度はむしろ浅いというべきである。
中村春造及び近藤伝治郎の件に関しては、前記三、2(三)で記述したとおりのいきさつから、中村や近藤に対し同和会を介して税の申告をする事も含め、その了承を取りつけて買収工作を完成させるために、殊に近藤との関係においては、相当深入りした関与をしたことは事実であるが、具体的な申告行為やその内容には全く関与していないこと前者の場合と同様である。
木村喜久治の件は、惣司定治郎が主導し、被告人がこれに引きずられた形で、木村に対し同和会を通じて申告することを勧めた案件であるが、惣司と共に同和会の村井や長谷部を木村方に案内して、税務対策の説明をさせたり、必要書類の取り揃えや同和会との連絡伝達等に協力したほか、申告納税日には村井等と同行して税務署まで赴く等しているが、犯罪の本体である申告内容や申告自体には全然関与していない。
以上いずれの場合も、被告人には犯罪行為に加担しているという的確な認識を欠いていたのであるから、関与の程度の濃淡を量刑の事情に加えることは、前提を欠いた考察というべきであろう。
五、本件のような特異な手段による規模の大きい税のほ脱が、全日本同和会等のいわゆる同和関係団体によって、長期にわたり公然と組織的に行なわれてきたことの根源をどうみるかは、本件被告人らの刑事責任を勘案するうえで、極めて重要な基本的な要因である。
原判決は、量刑にあたり被告人のため酌量すべき有利な事情の一つとして、「長期にわたり全日本同和会等の行う脱税を見過ごしてきた疑いの極めて濃厚な税務当局の対応も、本件を助長したと見られる余地がないわけでもない。」と判示しているが、本件における税務当局の関与と対応を、果してその程度の軽くかつあいまいな評価で見過ごしてよいものであろうか。
1.まず、全日本同和会京都府・市連合会が行う、いわゆる税務対策に関し、同会幹部と税務当局との折衝等の経過をみるのに、原審第五回公判期日における証人長谷部純夫の証言及び弁甲第二号証、第三号証の長谷部純夫の証人尋問調書並びに弁甲第一号証の文書を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 昭和四三年一月三〇日、大阪国税局長と部落解放同盟(以下解同と略称)中央本部及び大企連(部落解放大阪府企業連合会)との間に、「企業連が指導し、企業連を窓口として提出される白、青色をとわず、自主申告については全面的にこれを認める。ただし、内容調査の必要がある場合には、企業連を通じ、企業連と協力して調査にあたる。」等の数項目の基本的な了解事項が確認され、翌四四年一月二三日には、大阪国税局長と解同近畿ブロックとの間に「申告については、右の大阪方式を近畿の他府県にも適用する。」ことが確認されている。
これらは、いずれも口頭の了解事項であるが、解同側では、右の昭和四三年の確認事項の中に「同和事業については課税対象としない」旨の確約も取りつけたとして文書化していることが注目される(弁甲第一号証)。
さらに解同京都府連においては、昭和四九年二月一四日に大阪国税局長との間に「京都府部落解放企業連合が、右四三年、四四年の確認事項に基いて税務対策を行う」ことの再確認をしている。
(二) ところで、全日本同和会京都府・市連合会(以下同和会と略称)においては、のちに事務局長になった長谷部純夫ら幹部が、昭和五五年一二月大阪国税局同和対策室を訪れ弁甲第一号証の文書を示して、同和会の行う税務対策についても、大阪国税局長が解同に対して確約したことと同一の取扱いをされたい旨申入れ、同局から了承の確約を取りつけたうえ、大阪国税局の指示と手配に従って、さらに具体的な細部の協議を遂げるため、同年一二月下旬、上京税務署において京都府下一三税務署の代表としての上京税務署長ら幹部と打合せを行った。
その結果、大阪国税局で確約を取りつけた右の基本的事項が再確認されたのは当然として、今後、同和会の関係する税務の手続きは、すべて同会事務局が窓口となって一本化する一方、税務署側も総務課長が窓口となって対応することが約束された。
(三) その際、税務当局側から、解同から出されてくる申告は、全部所得ゼロの申告になっているが、同和会は政権党である自民党の支援団体であるから、所得が「一〇のうち、たとえ一でもいい、〇.五でもいいから、少しづつでも税金を払うように協力してほしい」旨の要望があり、これを了承して、どのような申告をするか等の細部については、具体的な案件ごとに所轄税務署の総務課長と相談して取計らう旨の了解が成立した。
ただし、これらの了解事項は、税務当局が同和会に対し特別な配慮によって行政指導として取計らうものであるから、公にしないで欲しい旨要望され、同和会では約束を守って印刷物等にはしていない。
(四) このような経過をたどって、同和会でと事務局長長谷部純夫、事務局次長渡守秀治らが担当者になり、昭和五六年から同会のいわゆる税務対策をはじめた。解同が永年ゼロ申告で済んでいるのに、同和会では少額でも税金を納めなければならないため、支部からは激しい突き上げを喰いながら、税務の知識のない長谷部ら事務局幹部は、支部から届けられた関係書類を所轄税務署の総務課長のもとに持込み、その指導に従って申告等の手続きを進めてきた。五六年度は案件も少なく、手続きも判らなかったから申告書等必要書類は慨ね税務署側で作ってもらい、同和会で書類を作成するようになったのは五七年度からである。
この初期の段階で、同和会では、税務当局から書類上のつじつま合せをするため、領収証を発行する受け皿を作るよう指導され、昭和五六年五月一日付けで有限会社同和産業の設立登記をしている。そのいきさつについて、長谷部は要旨次のような証言をしている。
「支部長の方から、一〇〇万ぐらいやったら税金納められるが、五〇〇万も六〇〇万も納められんので、何とか頼んでもらえんか、ということですと、会の方は、支部長を通じてきとるのは、一〇〇万やったら何とか納められるけどと泣き言を云うて弱ってますさかい、頼んますわと言うて相談に行ってきたんです。」「その中で、向こうは書類上のつじつまを合わせなきゃいけない。一〇〇万なら一〇〇万の税額になるよう、領収証とか何かがないか、というふうなことから、われわれは別にないですよと言ったら何が受け皿の会社を作りなさいよ、ということで」「それがまあ、一箇所一人の税務署員だけでなしに、まあ、行く度に言われるものですから、それで帰って来て皆で相談した結果、受け皿としてた法人を作ったらということで、その法人を作ったわけです」というのである。
なお、所得税法六四条二項の規定を使って節税対策をしようというのは、誰の発案なのか、との問いに対しても、長谷部は「税務当局の指導に基いて始まったことです」と的確に証言し、その他架空の経費支出があったように装う手口等についても、税務署の担当官から示唆があったことを供述している。
右の事実経過と証言等の内容は、一般の納税者にとっては、いささかショッキングではあるが、そのいきさつは自然であって、十分合理性もあり、これを否定する証拠のない本件にあっては、これを事実として措信せざるを得ない。
2.このように見てくると、本件を含む同和会による所得税や相続税の申告は、ほ脱率の極めて高い過少申告であることを税務当局も黙認したうえで、申告書類上ではその事実を糊塗するために架空債務の作出等の不正手段を講じていたものであるが、この不正の手段等も税務当局の指導ないし示唆に基いて行われてきたものであることを肯認せざるを得ない。
すなわち、税務当局の指導と認容のもとで行われてきた脱税事件というのが本件の本質であり、事案の根源は税務当局の認容にある。
原審第五回公判で前記長谷部証人は「その当時、証人は脱税をしている、違法なことをしているという罪悪感はあったか」との質問に対し「脱税という意思は全然ありません。これは行政の配慮と指導に基いてなされる同和運動の一環としてやっているのだ、というふうに確信をもってやっていました」と答え、会長鈴木元動丸、副会長村井英雄ら同和会の幹部らも同様の認識を持っていた旨証言している。
このように、本件の共犯者とされている同和会の幹部に違法の認識がなかったからこそ、本件のような特異な手段による大規模な税のほ脱が、任意団体とは云え同和会という団体の名において、組織的に長期にわたり公然と行われてきたことが納得できるのであるが、その原因は税務当局の認容の対応にあったことは言うまでもない。
原判決の「長期にわたり全日本同和会等の行う脱税を見過ごしてきた疑いの極めて濃厚な税務当局の対応も本件を助長したと見られる余地がないわけでもない」との判断は、事案に対する洞察を著しく欠いた皮相な観察で、証拠の評価を誤ったものというほかない。
3.こうした税務当局の同和団体に対するあいまいな対応は、同和会に限らず、その先駆をなす解同に対しては、さらに長期にわたり行われてきたため、つとに巷間では「同和に頼めば税金は安くなる」とか、「同和は税務当局に強い」という認識が一般化していたことは公知の事実である。
こうした実態の中で、被告人は前記長谷部局長や村井副会長から、同和会は税務当局の了解と指導に基いて行っているとして、同和運動の一環としての税務対策に協力を求められ、実際に自分が紹介した数件の税の案件が、長谷部らの説明どおり、少額の納税で済まされた実態を目のあたりにみて、長谷部らの説明どおり、同和会の税務対策は、税務当局が行政的に認容して行っているものだと信じるに至り、本件起訴事件にまで関与するようになったというのである。この点について、原判決は「被告人は、同和特別措置法に基づく便法として税務署が右のような取扱いを認めていると考えていた旨弁解しているが、そもそも架空債務の計上を法律が承認するはずはなく、司法書士として法律事務にたずさわる被告人が、事実右のように信じていたとは到底考えられない」旨判示している。
建前論としては判示のとおりであるが、以上みてきた税務行政の実態に目をそむけた独断というほかない。
このように軽信した被告人の司法書士としての法的感覚の稀薄さや軽率さを責めるのはよいが、被告人が自己の刑責を回避するために、ことさらに弁解を構えているかのようにみるのは、いささか酷に失する。
4.同和会の幹部や被告人らをして、本件犯行に至らしめた原因が、税務当局の永年にわたる脱税の認容ないし黙認にあったことが明らかな本件において、その原因を作った一方の当事者である税務当局の責任を看過して、一方的に被告人の刑事責任を厳しく問う原判決の量刑は、著しく衝平を失して不当である。
弁護人らは本件について、アメリカの判例によって構成された「わな」の理論を持ち出すつもりはないが、結果的には広義のおとり捜査にも類する印象の免れ難い本件の背景事情は、被告人の量刑を勘案するうえで十分に参酌せられるべきであるのに、その酌量を誤まり、税務当局の関与と対応を冒頭掲記の判示の程度に軽く見過ごした原判決の量刑は、是正せられるべきである。
因みに、本件は、昭和六〇年中に京都地方検察庁が摘発起訴した数十件にのぼる全日本同和会京都府・市連合会及び類似の同和団体の幹部らによる組織的な所得税又は相続税のほ脱事件(新聞等では、脱税コンサルタント事件として報道されたもの)のなかの一件であるが、されら一連の公訴事件のうちすでに相当数の事件について判決が言い渡され確定している。新聞報道によると、その殆んどの事件について、裁判所は事件を誘発した原因が同和団体の不正を永年にわたり安易に容認して放置し続けていた税務当局の態度にあったことを厳しく指摘して、被告人らに執行猶予の寛刑を科しているのである。
その一、二の判決例を掲げると次のとおりである。
被告人、全日本同和対策促進協議会京都府連合会事務局長、黒宮功(四六年)が、「同府連合会本部役員らを共謀して、京都市内の会社役員らが昭和五九年四月に死亡した実父の土地建物を相続したことで、実父が同連合会本部に多額の債務があったように装うなど税法上の控除規定を悪用し、会社社長らの相続税約六億五千万円の脱税工作をしたほか、昭和五八年五月にも別の会社役員の宅地売却にからみ、所得税約一億二千万円の脱税を手伝った」という相続税法所得税法違反事件につき、京都地方裁判所(森岡安宏裁判官)は昭和六一年一二月二二日、懲役一年六月執行猶予四年、罰金七百万円(求刑、懲役二年、罰金千五百万円)の判決を言い渡した。
新聞は「同裁判官は、『納税の公平を害した責任は重いが、税務当局が国民から負託された責任を放棄し、不正な申告を見逃し続けたのに何ら刑事、行政罰を科せられていないのは公平を欠く」と猶予の理由を述べ、税務当局を厳しく批判した』と報じている(京都新聞、六一年一二月二三日付)。
高等裁判所の判決としては、被告人、京都市伏見区内の貸しガレージ業木下静男が「昭和五八年、五九年の二回、伏見区内の所有地など約四億円で売却し、三億五千万円の長期譲渡所得があったのに、全日本同和会京都府・市連合会の幹部らに頼んで架空債務をデッチ上げ、二年間で九、八九六万円の所得税を免れた」という所得税法違反事件で、京都地方裁判所において懲役一〇月の実刑判決を受け控訴していた事件につき、昭和六一年七月一〇日大阪高等裁判所第五刑事部(石松竹雄裁判長)は原判決を破棄して、懲役一〇月執行猶予三年罰金二千五百万円の判決を言い渡した。『石松裁判長は猶予刑とした理由の中で「被告の脱税を誘発した原因のひとつは、同和団体の不正を安易に容認して放置し続けた税務当局の態度にある」と国税局の怠慢さを批判した』と報じている(読売新聞六一年七月一一日付)。
六、量刑に際しては、被告人の反省改悔と社会的制裁など、被告人に有利な犯罪後の情況も十分参酌さられるべきである。
被告人に対し懲役一〇月の実刑と罰金一、〇〇〇万円を科した原判決の量刑は、むしろ過酷にすぎる。刑罰が犯罪に対する非難として加えられるという意味で、応報であることは否定できない。しかし、応報であるからといって、それを越えて、犯罪者に無用の苦痛や害悪を加えることが許されないことは、あえて憲法三六条を引用するまでもない。
また、刑罰は犯罪のゆえに科せられるものであるが、非難が帰せられるのは、犯罪に対してでなく、行為者に対してであるから、刑罰を考える際には、犯罪者に対する非難可能性を犯罪当時におけるものと固定的に考えないで、むしろ現在の行為者人格について非難可能性の大小を考えるべきものである(刑訴二四八条)。被告人の本件犯罪には、これまで縷々指摘してきたとおりの酌量すべき情状があるほかに、次のような犯罪後の有利な情状が認められる。
1.被告人には、交通事故に伴う業務上過失傷害罪による罰金刑以外には前科前歴がないこと。
2.被告人は、自己の軽率さの故に司直の手を煩わすに至った今回のことを深く反省し、京都司法書士会の理事や同会上京支部長等の役職を辞任し、本件によって逮捕された直後からは、自主的に休業する等して謹慎していたこと。
3.本件によって被告人が不正に利得した金額については、それぞれそのきよ出者に対し返還を約束し、原審の結審までにその一部の履行を終り、本年四月末日までには金額返還を了することになっていること。
すなわち、乗越清一関係では、利得額は五〇〇万円であるところ、昭和六一年八月一四日、裁判上の和解により、当日弁護士費用等を上乗せした五五〇万円を右乗越に支払って全額返済を了した。中村春造、近藤伝治郎関係では利得額一、〇〇〇万円であるところ、そのきよ出者であるカネボウ不動産株式会社との間に、昭和六一年八月二二日分割返済の約定が成立して、当日三〇〇万円を支払い、残額は昭和六二年四月末日までに返還することになっている。木村喜久治関係では、利得額は一、〇〇〇万円であるところ、昭和六一年八月二七日、右木村との間で分割返還を約定して、当日三〇〇万円を支払い、残額は右同様本年四月末日までに返還することになっている(原審第一〇回公判、被告人供述調書)。
被告人は、贖罪の誠を示すため処分できる財産を処分して右返済に努めているもので、約定の本年四月末日までには確実に全額弁償することを誓っている(原審終結後の返済状況等については、さらに公訴審で立証の予定)。
4.被告人は、本件が新聞等に大きく報道され、また、逮捕後約四カ月間にわたり勾留される等、精神的にも肉体的にも多大の苦痛を蒙ったうえに、昭和六一年一月七日から業務を再開したが、本件による信用の失墜は大きく、業務は激減するなど、本件による社会的制裁はすでに十分に受けていること。
5.被告人は司法書士を生業として、家族や従業員の生活を支えてきたものであるが、本件によって禁固以上の刑に処せられ、その登録が取消されると、すでに老齢に近づきつつある被告人が、今後さらに相当長年月にわたり生活の基盤を失うことを余儀なくされる等、刑罰による司法的制裁に伴って、社会人として致命的ともいうべき行政的な制裁が付加される身分環境にあること。
6.上記の情況に照らしても、被告人が再度同様の犯罪を繰り返えすおそれは、全く認められないこと。
以上、諸般の事情を合せ考えると、被告人に対し懲役一〇月の実刑等を科することは、刑罰の機能を超えた無用の苦痛を加えるに等しい。
7.原判決は、被告人が加担した本件脱税行為によるほ脱総額は、二億七、二〇〇万円を超える巨額に及び、各脱税行為におけるほ脱率も九〇パーセント前後の高率であることを、悪情状の一つとして判示している。
極く最近に至って、裁判実務のなかで高額脱税事件に対し、実刑の判決例が時々みられるようになったが、まだその例は極めて僅かである。
しかし、弁護人らが理解している大阪高等裁判所管内の実刑の裁判例におけるほ脱税額は、いずれも六億円を超える事案であって、それ以下の税額の事案で実刑に処せられた例を知らない。
次に指摘するようなわが国の現在の納税実態と、租税犯罪検挙の実情のもとでは、実刑の選択はよほど慎重でなければならないと考える。租税が公平であるべきことと同様に、刑罰も公平でなければならないと考えるからである。税務当局が、毎年税の申告時期を前にして新聞等に発表する税務調査の結果をみると、どの種の税についても、僅か数百件か千件程度の抜き取り調査によって、対象者の九〇パーセント以上が脱税していたというわが国の納税実態の中で、所轄税務署の特別調査や国税局調査部の調査で終る事案と、国税査察官による査察事件とを比較すると、後者は徹底した調査によって経理内容が余すところなく究明されるうえに、さらに刑事罰が併科され、結果的には前者とは比較にならない厳しい制裁を受けることになる。
しかも、識者も指摘しているように、査察立件や告発の基準が一般には明らかにされていないほかに、われわれは大企業や特定の著名人が重加算税を含め数十億円の追加課税を受けたとする新聞等の報道に屡々接するのであるが(最近の事例としては、去る二月二七日報道の三菱信託銀行による六五億円の申告もれに伴い重加算税を含め約三三億円を追徴された事案が指摘できる)、これらのものが査察事件として告発、起訴されたという実例が殆んどないところから、素朴な不公平感はいっそう強まるところである。
一般の刑事事件では、犯罪の大部分が検挙され、捜査事件送致義務の原則によって、警察等のすべての捜査事件が、検察官に送致(付)されたうえ、検察官により公平に起訴、不起訴の判別がなされているため、わが国の刑事司法は厚い国民の信頼を得ているのである。
これに反して、租税事件にあっては、前述のように調査に着手した官署の相違によって、査察事件だけが格別に厳しい処分にさらされ、不公平にすぎる。
租税事件が刑事事件になじまないといわれるゆえんがそこにある。
このような、実態のなかで、実刑の厳罰をもって国民の納税道徳を高めようとする考え方は、よほど慎重に運用しないと、刑罰至上主義に陥る危険があることを指摘しておきたい。
本件被告人の犯行は、そのほ脱税額や縷述した各情状に鑑み、懲役の実刑をもって臨まなければ社会正義が保たれない程の悪質な事案でないことを強く訴えたい。
以上諸般の情状を勘案のうえ、原判決を破棄して、被告人に対しては、是非とも懲役刑の執行を猶予し、罰金刑についてもさらに減額した適正な判決を求めるため、本件控訴に及んだ次第である。